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植林ビジネスを構築

Case Studies

地域農民と企業が共に潤う
植林ビジネスを構築

王子製紙

王子製紙株式会社 ラオスにおける農民植林事業

紙パルプの需給逼迫を見越し、1990年代より、オーストラリア・ニュージーランドを中心に海外植林事業を推進してきた王子製紙株式会社。同社が消費地である日本により近い、アジア地域での植林に力を入れるようになったのは2000年代に入ってからのことだ。だがオセアニア地域と異なり、植林地を確保するための苦労は絶えなかった。
そうしたなか、2005年から植林を開始したラオス現地法人LPFL社は、地域住民も事業に参画する「農民植林」というスキームを導入することで、植林地の拡大に成功した。
同社が植林を行うのは、1970年代の共産政権成立後、活発に行われてきた焼き畑農業の跡地。潅木が生えるに過ぎなかった荒廃地は、今日、ユーカリ・アカシアの林に姿を変えようとしている。
ラオスにおける植林活動の開始以来、LPFL社の事業を牽引した、資源戦略本部植林部長の徳永清朗氏にその経緯をうかがった。

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農民植林における植付作業

王子製紙株式会社
資源戦略本部 植林部
部長 徳永清朗氏

インタビュー
Q ラオスで植林事業を開始した理由を教えてください。

徳永●当社の植林地が南半球に偏っていたこともあり、消費地である日本に近い東南アジア地域において植林地を探すなか、出会ったのがラオスでした。
日本からの投資を呼びたいと考えるラオス政府と植林地を東南アジアで確保したい我々の利害が一致したことがラオス進出の一番の理由です。
ただし、そこには問題もありました。ラオスは内陸国で、港がありません。そのため森林資源を日本へと運ぶには、国境を跨ぐ陸上輸送が必要になります。しかし日本までの海上輸送距離は、南半球に比べると短いことも事実。「なんとか採算がとれるのでは」と判断し、2005年、ラオスでの植林事業を開始しました。

Q 農民植林という発想は、当初からあったものなのでしょうか?

徳永●それを説明するには、植林地を巡る状況から話す必要があります。
我々がラオス政府から得たコンセッション(土地使用権)は、5万ヘクタール。東京23区の面積が約6万ヘクタールと聞けば、そのおおよその規模が理解できるはずです。
しかし、現地住民の了解が得られなければ、そこに一本たりとも木を植えることはできないのです。かつての日本がそうだったように、山は村の共有財産でもあるからです。

事業開始にあたり、地方政府の役人と共に村に入り、住民と交渉を行ったのですが、そう簡単に土地は提供してもらえませんでした。そうしたなか、我々が着目したのが「農民植林」という制度でした。
村民に苗木を提供し、育てた原木を製紙会社が買い取るというその制度自体は、タイの製紙会社などが同地で以前から行ってきたものでした。我々の植林は、ある程度の規模を実現しなければ採算が取れない事業です。植林地が広がるなら、自社による植林にこだわる必要もないと考え、その導入に踏み切りました。
またその背景に、ただ土地を提供するようお願いするだけでなく、彼ら自身も能動的に参加できるシステムを構築すべきではないか、という意識があったことも確かです。


用地調査中の様子。中央が徳永氏

LPFL社が農民植林を開始したのは2007年。外資を呼び込む目的で、同年にラオス政府が「2プラス3政策」を打ち出したことも大きな後押しになったという。
2は「土地」と「労働力」で、これはラオス国民が提供するもの。3は「資金」「技術」「マーケット」で、こちらは外資側が提供するもの。農民植林という概念は、この政策に合致するものだった。

ただし、農民への理解を得る上では課題もあった。地元資本による農民植林の先行事例では、結果として買取を行わなかったり、不当な安値で買い叩いたりということも目立ったのだ。そのため王子製紙の提案も、当初は地域住民に不審の目で見られることが多かったという。

徳永●当然ですが、現地の人は、王子製紙の名を知りません。日本の歴史ある会社だから信用してくれ、などと説明したところでとても理解してはもらえないわけです。そこで自分たちの事業を説明した上で、「紙会社にとってパルプやチップは必需品だから、必ず買う。むしろ売ってもらわなければ困るのです」という自社の事業の説明を地道に行うことで理解を得ていきました。


LPLF社による苗木生産

Q 地域住民への説明はどのような形で行ったのでしょう?

徳永●村を訪ねるのは午後3時ごろ。壮年層が仕事に出ている時間ですが、まずは村に残る長老たちに挨拶するわけです。手土産は、ラオスの蒸留酒「ラオラオ」のガロン缶(約3.8リットル入り缶)です。
働き手が帰ってくるのは午後5時前後。そこからは本格的な酒宴が始まります。まずはともに酒を飲み信頼関係を築いた上でなければ、話は進まないと考えた方がいいでしょうね。

Q なるほど、とても興味深いお話です。ちなみにラオスの酒宴はどのように進むのでしょう?

徳永●参加者が一つのコップでラオラオを回し飲みすることが一般的な形ですね。注がれた酒を飲み干した上でコップを次に回すわけです。
ラオラオのアルコール度数は50度近くありますから飲み干すのも大変です。しかし、コップが回ることを待つ人のことを考えると、ちびちびと飲むわけにも行かんのです。現地には、日本人の若手スタッフもいたのですが、困ったことに彼らはすぐに酔いつぶれてしまう。そこで村々を回り、一緒に酒を飲むことは、主に私の仕事になりました(笑)。
それでも、信頼関係を確立するには2年は掛かったのではないでしょうか。毎日のように村々を回り、共に酒を飲んだこともあり、最終的には村の結婚式で主賓席に案内されるようにもなりましたが。

Q 話は変わりますが、ラオスではどのような土地に植林を行っているのでしょう?

徳永●ラオス政府による4段階の土地分類中、「degraded land」と呼ばれる荒廃地が我々の植林地。焼畑農業の跡地です。1970年代に発足した共産党政権下の混乱の中、ラオスでは焼畑農業が盛んに行われてきたという歴史を持っているのです。

Q 焼畑跡地への植林は、やはり難しいのでしょうか?

徳永●焼畑跡地は土地が痩せています。そのため、肥料をどのように与えるかが大きな課題です。現在、5名の研究スタッフがその調査にあたっていますが、まだまだ改善の余地はあると感じています。また最適な下草処理の頻度や程度を知ることも、経営上の重要なポイントです。

Q すると農民に苗木を渡せばそれで済むという話でもなさそうですね。

徳永●その通りです。そのため開始当初は植林指導を行う専従スタッフを用意しました。
また苗木の提供だけでなく、肥料購入に必要な資金の貸付も行っています。貸付資金は買取時に相殺する契約になっています。


3年目のユーカリ植林地

苗木を農民に提供し、それを農民が育て、成長した原木を企業が市場価格で買い取ることが農民植林の基本的な仕組みである。企業側には優先買取権が設定されているが、不当な価格で買い取ろうとした場合は、その権利は失効する。

また農民植林では切り出した原木の表皮を剥ぎ、2mほどの長さに切り揃え、トラックが入り込める道路まで運び出すまでが農民側の仕事になる。その全工程を人力で行う必要があるため、伐採サイクルはコンセッション植林の7年に比べ、約4年と短い。

Q 農民にとって植林事業が現金化するのは約4年後。その間の農民の生活は?

徳永●アグロフォレストリー(混農林業)によって成り立っています。トウモロコシ、サトウキビ、キャッサバ、陸稲などの栽培と林業を並行して行い、最終的に林業による現金収入を得るという形態です。

Q 農民植林の苦労はどこにありましたか?

徳永●農民の大部分は、1~2ヘクタールという規模の植林です。2009年には約2000ヘクタールの農民植林を実施していますが、そのためには1000~2000通の契約書を用意し、それを管理していく必要があるのです。企業コンプライアンスの重要性は理解しているつもりですが、それにしてもこれだけ数が多いとそれも大変な労力になります。

Q 学校建設などの社会貢献活動も積極的に行っていますが、これはコンセッションを得る際の政府との契約に含まれていたものなのでしょうか?

徳永●中央政府との契約には、1ヘクタールの植林を行うごとに50米ドル分の貢献を行うという条項が含まれています。
ラオス国内の貧困地域の生活向上をめざすという趣旨のものです。我々としても、この政策に賛同し、農民と十分話し合いを持ちながら、最も効率的で農民が最も望む活動を行ってきました。


地域貢献活動の一環として集会所の建設も行われた

LPFL社の社会貢献活動は、道路建設、井戸水路建設、学校建設など多岐に及ぶ。そのなかで特徴的なのは、学校建設などにおいて、同社が資材や工事を指導する大工を提供する一方で、地域に労働力の提供を求める点だ。つまり、実際に建設工事を行うのは、地域住民なのだ。その理由を徳永氏はこう説明する。

徳永●海外青年協力隊(JICA)の初派遣国であるなど、日本の国際援助活動とラオスは深い関係を持っています。私の目には、その結果、ラオス人が援助されることに慣れてしまったようにも思えます。それは決して好ましいことではありません。建設工事を地域住民に任せるのは、自分たちのことは自分たちで行うという意識を持ってもらいたいと考えてのことです。
また、LPFL社では社員によるボランティア活動も盛んに行ってきました。例えば、数カ月がかりで行う村対抗のサッカー大会も、同社の現地スタッフによるボランティア活動です。援助慣れしてしまった世代が存在する一方で、自分たちのことは自分たちで行おうとする新しい世代が育ちつつある段階と言えそうです。

LPFL社の従業員は約200名で、植林時期には、2,000名の地域の農民を季節労働者として雇用する。5名の研究部門スタッフを除く日本人スタッフは4名で、今日では操業はすべて約200名の現地スタッフが行うに至っている。現地スタッフに権限を委譲していく上での課題もすくなくなかったのではないだろうか。

徳永●我々植林家が最も恐れるのは、保護林をはじめとする地域の生態系にダメージを与えることです。そのため10mを超える幅の川では両岸30mでの植林を行わないなど、自分たちなりのルールを設定しています。我々は、そうした面での従業員教育に力を入れてきましたが、それでも、そうした生物多様性の確保に向けた取り組みを現地スタッフに理解してもらうのは苦労しました。

Q 大規模な植林を行う上で、現地の環境保護団体との対話も必要になったと思いますが。

徳永●実は、彼らとの関係も我々が苦慮したことの一つでした。進出当初、一部の環境保護団体の見解を一方的に信じ、我々の事業に異を唱える住民が少なくなかったのです。
我々から見て、現地で活動する欧米系の環境保護団体の言動は、自分の名を上げることしか考えていないように思えることもしばしばでした。しかし直接的な対話の際は、英語力の問題もあり、彼らの論理を論破することができず苦労しました。
地道な説明活動を続けることで、最終的には我々の事業が受け入れられたわけですが、それは地域の人々が主体的に未来を選択した結果でもあったと考えています。

Q CSR活動の一環として、アジア地域での植林活動を手掛ける日本企業も少なくありません。彼らの活動へのアドバイスは?

徳永●なによりも大切なのは、地域住民との対話を繰り返すことで、相互理解を築くことです。
実はLPFL社の後、現地ではインド系企業・中国系企業が植林事業に参入しようとして失敗しています。中央政府からコンセッションを得たことで、地元住民との対話を持たないまま一方的に植林を行おうとしたことがその理由です。その結果、実力行使も伴う地域住民の反対運動が起こり、事業が進まなくなってしまったのです。


数カ月間にわたって行われた村落間サッカー大会

五十の手習いではありませんが、私も家庭教師をつけてラオス語を勉強しました。もちろん現地語が話せなくても、通訳を介し、あせらず、時間をかけて対話を続けることがもっとも大切ではないでしょうか。


LPLF社による折り紙教室

Q これまでの活動を100点満点で採点すると何点でしょう?

徳永●50点ですね。植林事業は伐採までのサイクルが一回りして100点ですから、まだ半分。LPFL社では、2013年以降に本格的な伐採が始まりますが、そこからが本当の勝負だと考えています。

農民に対して、我々はグローバルな市場価格での購入を約束しています。しかし、ラオスの場合、すでに触れた通り、輸送コストが必要になることも事実。そうしたなか双方が確実に利益を得られるシステムを確立することが今後の課題です。現地で加工まで行い、アセアン経済圏での需要にも応えるなど、もっとも効率的な森林資源の活用方法を模索していきたいと考えています。
★取り組みのヒント
  • 世界マーケットを見据えながら、地域と企業が共に潤うビジネスの構築に取り組んだ。
  • 日本人スタッフが連日のように村々を訪ね、一軒一軒の農家で時間をかけた説明を行い、地域と企業の信頼関係の確立に努めた。
  • 専任スタッフを立て、同社が世界各地で植林事業を展開するなかで培った高度な植林技術の移植を図った。
  • 植林地を提供してくれた地域の要望を考慮した地域貢献活動を行った。